||  The first world and you are unnecessary  ||






八話


 口を開いたのは髪を括っているほうだった。
「ヒタキじゃねェか、こんなとこで何してんだ」
 言葉の隅々にまで悪意を塗り込んだような、声だ。モモセは肩を強張らせた。ヒタキは頬を歪めるとモモセ
をかばうように一歩前へ出、彼とは対照的な感情の読めない声を発する。
「オレは頼まれて、この仔に学校の案内をしているだけですが」
「誰に」
「ウルド、に。この仔はウルドの補佐に推されてるんですよ」
 ふっと、ヒタキの頬に嫌悪以外のものが乗る。ウルドという名を、補佐という単語を、殊更明瞭にヒタキは発
音していた。閃かせたのは嘲笑だった。純朴な表情ばかり見せられてきていたモモセは、そこに少なからず
驚きを覚える。
 目的語をわざと外した答えは、あえてそれをまた問わせるためのものだ。その名が一体どれだけの効力を
持ってているのか、彼の怒りに染まった目を見れば自ずと知れる気がした。そしてウルドの補佐という地位を、
彼が欲しているということも。
「気に入られてるからって、調子に乗るんじゃねえぞ」
「さあ、何のことか分かりません、カルシスさん」
 しれりとヒタキは返した。慇懃な口調だ。ともすれば、そこに無礼がついたほうが正しいのではないかと思
えるほどの。長髪――、カルシスはそれに目元を引き攣らせた。
「スラム出のくせに、よく貴族に噛みつくよなあ」
「この学校では、貴族も何もなかったはずですが」
「身分差は存在する」
「けれど、それは持ちこまない約束だ。そのために生活の優遇ならなされている」
 素早く言い返したヒタキは、それでも口調はそっけなく、抑揚がない。カルシスはヒタキの言葉に被せるよ
うに続けた。
「ベゼルも制御できずに獣のままじゃねえか」「面倒だからこのままにしているだけです。しまおうと思えばし
まえます」「じゃあしまえ、ここにいるんなら見た目くらい人間らしくしろ!」
「――っ分かりましたよ!」
 勢いよくヒタキが啖呵を切った途端、淡い色が弾けた。金。モモセは腕で目元を覆った。光が直接目に飛
び込んで、鋭く痛む。
「――これでいいでしょ」
 そのヒタキの憮然とした声にもういいのだろうかとモモセは予想をつけて、目を擦りながらゆっくりと開いた。
た。最初にモモセはヒタキの頭を見、そこから視線を落として制服の裾を確認した。はちりと瞬く。獣の証はそ
こにはなかった。人間と変わらぬ少年が、そこには立っていた。
 ぶるりと軽くなった頭を振り、ヒタキはカルシスを睨みつける。
「だからあんたには逢いたくないんだ。ことあるごとに突っかかってきて。お供がいないとそれも出来ないくせ
に」
 ちらりとヒタキはカルシスの後ろの少年に視線を遣り、モモセの袖を引く。モモセの視線に気づいた傍らの
少年は、申し訳なさそうに会釈した。
「行こう。次は芸術棟に案内するよ」
 モモセはぎこちなく首を縦に振り、ぎくしゃくと手脚を動かした。その手を、カルシスに掴まれる。
「――っ離せ!」
 恐怖が一気に振りきれる。モモセは乱暴に手を払うと一気にその場から距離をとった。カルシスは顔に不
快をよぎらせたが、そのことについては言及しなかった。
「お前もだよ、ちゃんと人間の格好しろよ」
「馬鹿なこと言わないで下さい。これから入学なんですから制御できなくてもいいはずです」
 噛みついたヒタキに、カルシスはさらに言い返した。
「それは普通だったらだろ。みな殿下の補佐を狙ってるのに、成績も何もない状態から補佐だ何だ言えるっ
てことは、それなりの下地があるってことだろが」
 殿下、その言葉の重さに、モモセは一瞬呼吸をするのを忘れた。一拍置いて、躯が震えだすのを感じる。

 殿下、――――殿下

 それ、は、
 脳内でその言葉だけが何度も乱反射する。意味を知らないほど、馬鹿なモモセではない。
 モモセは力を籠らない指先で自身を抱きしめた。






       
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