||  Adult is sly ,and pretend gentle  ||






五話



 ぐずぐずと泣き顔を晒していたのはほんのしばらくの間だったが、モモセの羞恥を煽るのにそれは十分す
ぎるほどの時間だった。
 肩を縮め、耳を伏せた状態で顔を真っ赤にさせてうつむいている仔どもに男は苦笑を送る。
「取りあえず、着替えな」
「ぅあ、」
 とりなすように言ったウルドは、そうしてモモセの頭の上に白い布を被せた。とはいえ、それが布に見え
ていただけで、実際は服だったのだが。
 それはモモセが現在着ているものと似た作りで、フードが付いている点と、そのフードの縁と裾の部分に
濃い青の縦ラインが入っている点だけが違いとして目立つくらいだった。その他はいたって平凡な子ども服。
獣の特徴を隠せない年齢の仔どもが着る、ワンピース型。この形だと尻尾が下から出せるため、余計な気
を回さなくて済むのだった。身体に当ててみないことには確かではないが、丈は尻が隠れる程度か、それ
より長い。尻尾の問題もあるため、尻が隠れる長さであろうことははっきりしている。
 そして尻尾を出すための切れ込みが入ったハーフパンツもある。こちらは少し珍しい。子どもは基本的に
ゆったりとした長めの衣装だけなのが獣種の通例で、下肢にはなにも身につけないことが多い。
 受け取ってから、モモセは何度か目を瞬かせた。それは焦りの比率の高い戸惑いからだった。そのせい
で尾を引いていた恥ずかしさはいつの間にか消えていた。
「え、今――から?」
 今から行くのか、そういう意味だった。そんなに急がなくても、という意味だった。後から反芻してこの台
詞は今から着替えるのか、とも取れていたのだなと思ったのだが、ウルドは的確にモモセの意図を汲み
取っていた。
「お前が明日のほうがいいなら、別にそれでも構わんが」
 先回りして他の可能性を提示してくるあたり、ウルドは気づかいが出来る男だった。
 モモセは窓の外を見た。日は高い。鐘の音はまだ聞いていないから、昼時にはなっていないはずだ。
 この国では一日に五回、神殿が鐘を鳴らす。一日は二十四に区分されており、便宜上前十二時間を朝、
中の六時間を昼、後の六時間を夜などという風にしていた。鐘が鳴るのは朝の五つ時、朝の九つ時、昼時、
昼の五つ時、夜の三つ時だ。時を計る術を持たない一般民衆はその時以外を知らない。神殿や各役所な
どには時計と呼ばれるものがあるらしいが、生憎モモセは見たことがなかった。
「いえ、いいです。今日で」
 まだ昼にもなっていないのだったら、時間は十分にある。ウルドも忙しいと言っていたし、これ以上モモセ
のために休暇を取らせるのもよくない。
「んじゃ着替えな。俺も着替えてくるから」
 そう言い残してウルドが消えたのは、窓際の部屋だった。
 多分、そこが衣装部屋にでもなっているのだろう。そちらの壁には扉が三つあって、窓際から先の衣装
部屋、キッチン、浴室だった。ここは全てウルドの屋敷のはずだったが、この部屋だけで十分に暮らしてい
ける。
 モモセはわずかウルドが入っていった扉を見つめ、それからおもむろに服に手を掛けた。素早く脱いで、
素早く着る。モモセは素肌を晒した状態でいるのが一等に嫌いだ。下半身はそう人と触れ合う箇所でもな
いのでそこまででもないが、上半身には逆に過敏だった。
 獣の耳にも対応しているのか、ゆったりとした大きなフードまできちんと被り、モモセは脱いだものを両手
に抱えて男を待っていた。
 手持ち無沙汰になったモモセはまた視線を窓の外に投げる。
 この窓も、モモセは好きになれない。外には一段二段と低い屋根屋根が広がっていてそちらからこちらを
覗くことはできないが、常に見られているような気がするのだ。要するにモモセは解放感のある広い空間が
嫌いなのである。
 その解放感を軽減させるために、数日前までのモモセは大量の襤褸を身体に巻きつけていたのに、今着
ているのは薄い服一枚だ。しかしこれもモモセに与えられるには不相応なのだろうから不満は喉元に留め
ておいたが。
 広い場所でこれだけなのは嫌だな、モモセは頼りなくひとりごち、肩を縮めてベッドの柱と壁のコーナー
に嵌まった。
 ウルドといるときには彼の方に神経の全てが向かうため気にならないが、ひとりでは意識が内面に向く分
いたたまれない。
「モモセ、」
 ふっと影が落ちてきて、引き摺られるようにモモセは顔を上げた。
 そんなところに三角座りになっているせいだろうか、呆れたような顔をしてウルドはモモセを見下ろしてい
た。初対面のときに見たきりの黒い軍服をきっちりと着こなしている。軍が採用している軍服はこの国の
民族的には見慣れないものが採用されていたが、引き締まった身体にぴったりと合うそれは男にとてもよく
似合っていた。
 そんなところで何してる、などと野暮なことを彼は口にしなかった。ただ揶揄するのに似た笑みを浮かべ、
ごく自然な動作でモモセを立ち上がらせると、手を引いた。
「行くぞ」
 その手の感触にびくつき、あからさまに払うのはいつものことだ。もう幾度となく繰り返した。ウルドは一瞬
動作を止め、胸ポケットから黒い手袋を取り出した。
 そしてそれを嵌め、先程よりも強い力でモモセの手を握る。
「妥協策」
 モモセが声を上げる前に、有無を言わさぬ声音でもってウルドは言った。
「俺はひとつ譲ったぞ。お前が以前言ったようにな。なのにお前は駄々をこねるのか?」
 ――駄々じゃない。言い返そうとしたのに、出来なかった。してくれるなとウルドが、言わないくせに、願う
から。
 そもそも手など繋ぐ必要はないのだ。ウルドの台詞は繋ぐことが当然の上で成り立っているから、根本か
らしておかしい。こう言われてしまうと自分の方がわがままを言っているような気持ちになるから不思議だっ
た。
 最初に素手で握ったのは、きっと計算だったのだろう。そこから手袋をすることでウルドは譲ったのだと主
張し、さもモモセが悪いと言わんばかりに批難する権利を得る。実際モモセはウルドの巧みな策略に乗せ
られ、離してくれと訴えることができなくなっていた。
 ウルドのこんなところが嫌だった。そしてそれに対してわずかばかり安堵する、そんな自分がもっと嫌だっ
た。
 ウルドに触れてはいけない。モモセは不可触民だから。これは絶対だ。天が定めた不文律。
 だのにモモセはウルドの体温が好きだった。拒絶するモモセに諦めずに触れてこようとする彼が、駄目だ
と分かっていても嬉しかった。
 きっと彼を穢す。
 そしていつか彼は気付くのだ。後悔するのだ。モモセに触れたことの愚かしさに、その浅はかさに。
 けれどそれは今じゃない、おれは望んでいない。悪いことだと分かっている。彼が勝手にしていることだ
と盾にして――――――、

 こうやって自身に言い訳している時点でもう、己の非を認めているも同然なのに。





       


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