||  Adult is sly ,and pretend gentle  ||






四話



 ウルドが用意していたのは黒の染髪剤だった。様々な種類はあれどもそのすべてが黒に染まるものだったと
いうのはウルドの趣味なのだろうか、とモモセは半眼になった。確かに黒髪は目と同じ色であるので栄えるだろ
うが、モモセは思わず下僕らしからぬ邪推を働かせていた。
 彼は薄々気づいていたのだが器用な男で、見事にモモセの銀糸を黒へと染め変えた。最初のモモセはどうし
たって自分でやると言ってきかなかったのだが、そこでお世辞にも上手いとは言い難い手腕を披露してしまった
ために、慰めこそあったもののそのまま続けることは許されなかったのだった。
 モモセは頬に付けてしまった染髪剤を手の甲で拭いながら、床に座り込んでひたすらに姿見を覗いていた。
黒の二尾が揺れる。頬を縁取るのも漆黒だ。見慣れない仔どもが、鏡の向こうから見つめてきていた。
「誰?」
 同じ動作をしているが、どうにも違和感が付き纏う。それはだんだんと不快感へと移行していって、モモセは顔
を顰めた。
「おれじゃないみたい」
 その根底にあるのは茫漠とした不安だ。それが口調に滲み出る。心細げな仕草でモモセは髪をひと房掴んだ。
「似合ってると思うが」
「、わかんない、です」
 モモセは緩慢に首を振った。
 鏡の中に、大柄な男が映り込む。骨格の出来上がっていない華奢なモモセとは格段に違う、完成された男の
肢体だ。彼からは、圧倒的な雄を感じた。
 こんなガキで、男で、不可殖民の仔どもなんかを相手にする暇があるのなら、奥さんでももらえばいいのにと
なんとなく呟いた。それとも、いるのだろうか。聞く権利も持ち合わせていない、囲われるだけのモモセには知る
術はなかったが。
「綺麗に染まったな。――もったいないはもったいなかったが」
 さらさらと触れてくる手から、髪を取り返す。なんのてらいもなく彼が触るから、なんだか自分がまともな生き物
になったようで、けれどそれはゆめまぼろしだ。彼の指先へと穢れが侵食していく。
「もう少し、触らせろよ」
「さっき、もう、充分に」
 膝頭を見つめながら、ぼそぼそと返す。
 ウルドはモモセの後ろに腰を落ち着けてしまった。背後に感じる男の気配に背筋がこわばる。どうやらもう洗
髪剤の片付けが終わったらしい。そんなもの自分に任せればいいのだ、とモモセは思うし、実際にそう進言も
したのに、ウルドは何かにつけて自らの手で行いたがった。
 どちらが主人なのか、とモモセはふと考える。それは勿論のことウルドには違いない。彼はモモセを金で買っ
た。つまりは主人だ。けれど一概にそうとは言い切れない部分があるのも確かなのだ。モモセは飼い犬なのだ
から、ウルドにどんなにひどいことを強要されても諾々と従うのが当たり前である。そう思っていたからこそ売ら
れることに嫌悪もあった。けれどヴルドは全くそのようにモモセを扱わない。稀に自分の上位を閃かすこともあ
るものの、それは本当に稀有なことだった。むしろ行為を強要されでもしたならば自分がここにいる目的も分かっ
たのに、彼は学校に、などとまで言い出しすのだ。だからこそモモセは首を傾げずにはいられなかった。こうして
彼はむしろ自分のほうが従者だとでもいう態度で接するので、モモセはことあるごとに自分を戒めなければな
らなかった。
 現に今も、ウルドは濡れたタオルを差し出してくる。つまるところ愛玩用として奴隷を買い可愛がるにしては、ウ
ルドは妙に甲斐甲斐し過ぎ、求めなさ過ぎるのだった。
「――ありがとう、ございます」
 モモセは礼を言って頬にタオルを当てるが、表情は複雑だった。モモセは男の様子に優越に浸れるほどの大
物ではない。
 モモセの心中など知らず、姿見を見るウルドは出来栄えに満足そうに頷いている。
「かわいいもんだな」
「それは、嬉しくないです」
 むっとしてモモセは唇を尖らせた。自分の容姿が少女然としていることくらい重々承知しているが、それを思い
出させられるのは正直気に入らなかった。くっきりとした大きな目も長い睫毛もぽってりとした唇も、何もモモセ
が望んだものでは決してない。
 横目で苦く姿見を見る。背後から男の手が伸びてくるのが見える。咄嗟に目を瞑ると、皮膚に冷たい感触が
ひたりと乗った。
「……?」
 見ると、胸元には半円のシルバーが揺れていた。
 見覚えのあるそれに、思わず目を見張った。
「お前のものだろう。着ていたものの中に、混じっていたから」
 返してくれるのか、モモセは驚きに声も出せない。
 モモセのもの、なんて。彼に下った以上、棄てられても当然だと諦めて、行方を訊ねもしなかったのに。
 赤子のモモセを、拾って一時期傍に置いてくれた女がいた。彼女はこのシルバーを、モモセの唯一の持ち物
だったといった。傍目に見ても分かる、これは対で作られたものだ。モモセの凹、誰かの持つ凸があり、ようや
くひとつになれる。
 モモセにとっても思い入れのある品だった。どんなに生活に困っても、これを手放すことだけはしなかった。
 年とともに錆付いていたのを元通りにしてくれたりなんかして、本当に、もう。
「ありがとう、ございます……」
 涙声になってしまうのは、留めようがなかった。





       


inserted by FC2 system inserted by FC2 system