||  Adult is sly ,and pretend gentle  ||






二話

 ベッドサイドの床で、モモセはウルドにしなだれかかる形で座っていた。広い窓からは朝日がいっぱいに射し
込み、部屋の広さも相まってモモセの心許なさを増幅させた。室内を白く満たす光が怖くて、モモセは男の胸
元に額をこすりつける。彼はやさしく、なだめるように薄い服越しにモモセの背を撫でた。
「ふ、う……」
 ぎゅっと傍にいる人にしがみつく。モモセを甘やかしてくれるこのベゼルはとてもおだやかで、気持ちがよかっ
た。絶対的な人の保護下に入っていると安心感。ひとりきりだったはずのモモセは、このような感情を抱いたこ
とがなかった。
 ほてっているせいでだるい身体を持てあまし、完全に預けてしまう。とろとろに溶けている思考の中で、モモ
セは先ほど暖かい湯に放り込まれたことを思い出した。花の香りのする泡が、身体中をくまなく辿っていったこ
と。ただそれは一瞬身体に浮かび上がった記憶で、脳にまで情報としていかなかったのは、さいわいか。
 ここまで無防備なのを始めウルドは心配したものだった。すでに他の男に、自分のものであるはずのこの躯を
暴かれているのではないか。自分のように、眠っている状態であるのを好機と捉えて。それでなくてもスラム出
身だ。身売りはひとつの商売である。不可触民であっても、なにか間違いがないとはいえない。ただでさえ、両
親から受け継いだ美しい容姿があるのだ。
 ウルドがモモセを見つけて、一番にしたことがその確認だった。
 しかし躯に訊いてみる限り、そのようなことはなかった。口遣いはたどたどしく、蕾は固く貞淑なままだ。他人
の跡はない。男は安心して、自分の味をこの仔どもに教え込めばよかった。
 意識のあるときないときの差に、彼はそっと笑いを零す。
「――今日のことで確信した」
前触れなくそんなことを言い出したウルドの台詞に、モモセはようやく覚醒の一端を掴んだ。
「ッ!」
 一気に目を覚ましたモモセは何よりも先にベゼルを発動させようとしていた。無論それはウルドによって止め
られたのだったが。結局、何を確信したかは聞かずじまいになった。
 彼の独り言は、寝ぼけているときのモモセは声をかけるまで完全には起きないという観察結果が続く。
「コントロールする方法を、いい加減教える必要があるな」
 モモセよりはるかに高位にあるウルドは、無言のうちにあっさりとモモセのベゼルを屈服させる。いくらくやし
くてもそれが現実だ。
「おとなしくしてな」
 そう言う男の手には不釣り合いな、華奢な櫛が握られていた。よもや自分用ではあるまい、嫌な予感を裏付
けするように、ヴルドが手を伸ばしたのはモモセの髪だった。
「だから! 止めてくださいッ!」
 威嚇するモモセをまるで気にした様子もなくウルドはモモセの手首を掴み、自分の足の間に座らせる。
「せめて手袋とか!」
「必要ない」
 にべもないウルドに、振り返ったモモセは更に喚いた。腕を振り払い、男に詰め寄る。
「っだいたい! おかしいとは思わないんですか!? あなたは貴族でおれは不可触民で!」
「――俺がしたいんだからいいだろう?」
「だってどう考えても変だ!」
 ――は、ウルドは軽く口端を持ち上げた。
「――だったら、お前が俺に逆らうのもおかしいな」
 今までのどこか優しげな言い口を潜め、ヴルドはゆったりとその言葉を吐き出した。苛立たしかった。言って
はならないとわかっていても、止まらない。まっさらな本能のまま振る舞えるときは、触れられることによろこ
ぶくせに。
 言葉は例の奴隷商人を思わせる高圧を内包していて、敏感に反応したモモセは律儀に躯を跳ねさせる。
 ――確かにウルドの言う通りだった。モモセは彼が何も言わないのをいいことに、散々男に甘えてきた。ウ
ルドは命令しない。自分が金で買ったものに対して、権利を振りかざさない。どころか、とても大切に扱ってく
る、モモセはつい錯覚してしまっていたのだった。
 ウルドの一言でモモセは冷水をかけられた気分になった。
 震えている子どもに気付いても、男は止めることができなかった。硬直するモモセを、服の上から手つきば
かりは優しく触る。肩の丸みを確かめ、背中、腰、尻から内股を撫でさする。モモセは躯を強張らせた。服の
下へ、手が差し入れられたからだ。しかし抵抗はない。抵抗してくれ、心中で男は呻いた。でなければ俺は、
止まれない。
「今まで、誰かにこうやって触られたことはあるか? お前の肌を直接触り、可愛がり、その温度を知った男
は?」
 緊張した肌の上に、ゆっくりとウルドはてのひらを這わせた。膝立ちのモモセの躯を引き寄せ、密着した状
態でてのひらは薄い胸をさまよっていく。高まる熱に何度も首を振った。
「っ、い、いない……っ、――あなた、だけ、ッ」
「――嘘は、」
「ついてないッ」
 モモセは悲鳴じみた鋭い声を上げた。行き場を失っていた腕が、ウルドを首にしがみつく。
「おれみたいな動物に触るもの好きなんて、あなたくらいしかいない――――っ!」
 ごめんなさい、ごめんなさい、とうわごとのようにモモセは繰り返した。触らせてしまって、穢してしまってご
めんなさい。モモセにとっては犯されるかもしれないという恐怖よりも、そちらの方が強いのか。
(謝るというのなら、俺の方だろう、)
 無言で男はモモセから離れ、乱してしまった衣服を整えてやる。
 いまだ震えている仔どもの手をウルドは改めて取り、背中を抱いて座らせた。
 しばらくはじっとしたまま、動かなかった。
 やがて疲れた声音で男は語りだす。
『聖典、放逐記、――貴族の男と、平民の女があった。男は女を孕ませ、女は仔を産んだ。仔は混血であっ
た。仔は父の証を持たず、父はこれを厭われた。父はこれを忌児と決め、触れることを禁じられた。
 男は父に謝した。男は赦された。女は父に謝した。女は赦された。仔は父に謝そうとしたが、父はこれをお
赦しにはならなかった』
 それはこの国の誰もが知っている神話の一節。
 不可触民が差別されている理由。
 神世の言語で紡がれる低い韻律は、ただ静かだった。モモセは伏し目がちに自分の手の甲を見つめ、小さ
く訊ねた。
「何て言ったんですか」
「――神なんぞくそくらえ」
 絶大なベゼルをその身に宿す人間とは思えない台詞に、モモセは目を見開いた。しかし顧みようとしたモモ
セを、続く言葉が押し止める。
「お前は余計なことだけ知っているな。混血だろうと忌児だろうと不可触民だろうと、俺にはどうでもいいことだ
というのに」
 髪に櫛が通される。頭の天辺から、腰まで。床に流れ込むほどモモセの髪は長い。未だ水気を含んだそれ
は重たいが、すんなりと梳かれるに従って解けていく。
「嫌なら、嫌でもいい。俺を嫌いだというのなら、そう言ってくれて構わない。だがそうではないだろう? 不可
触民だからというどうすることもできない理由で、俺を拒絶するのは止めてくれ」
 垂れた耳まで丁寧に弄われ、それにどうしようもなく心地よさを感じた。そうだ。実際、嫌、では、ないのだ。
けれど不可触民である、それが一番、この世界で大きな理由。
モモセは掠れる男の声を聞いた。
だからモモセ、と。
「早く俺に慣れろ」
 この期に及んで、ウルドが出したのは命令ではなかった。乞われている、とモモセは思った。三階級も上の
貴族が、卑しい不可触民に。本当のウルドはただ髪に指を絡めているだけだというのに、まるで後ろから縋り
つかれているようだった。
 これは初めて一緒に過ごした夜に、覗かせた雰囲気によく似ていた。追求してみたい気もしたが、安直に触
れれば手酷く火傷をする気配を肌で感じていたため、モモセは結局保身に走った。そんな自分が情けない気
もしたが、モモセに今、他人を気にかけている余裕はなく、第一それは彼のせいなのだった。




       


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