||  Child on whom price is not set  ||






四話




「なあクテイ、どっちにする?」
 クテイは眉を寄せ、怪訝な顔をする。ホヅミはコートの上から、軽く自身の腰の辺りを叩いた。ク
テイは示されるままそこを見つめ、あることに思い至って顔を跳ねあげた。血の気が引く。
ホヅミが触れる、その下。――ナイフをしまっている、場所
すっかり流れてしまっていたはずの話題を持ち出され、クテイは表情を歪めるしかなかった。
「クテイ、」
浮ついた喜色が乗った声音だ。
クテイの名はホヅミが付けた。それ以前には、別の名前もあったのだ。
この男はクテイに話しかけるとき、必ずと言っていいほど語尾や文頭に名前を持ってくる。「クテイ、
煙草持ってこい」、「逆らうのか? クテイ?」などといった具合に。そうやって呼ぶことでクテイの支
配権は己にあるのだということを暗に示そうとしているのか、あるいはただの無意識か、クテイには
判断がつかなかった。はっきりとしているのは、ホヅミの真意如何に関わらずそのことでクテイは重
度の圧力を感じていることくらいだ。
 クテイは乾ききった唇を舐め、塞ぐ気道から声を絞った。
「研究所、で。お願いします……」
 この期に及んで逃がしてやってほしいと懇願できるほど、クテイは図太い神経をしていなかった。
身を縮めて意に沿わない言葉を口にするしかない。クテイの主人はホヅミだ。
 だけど……。
 口上した後すぐに、クテイはもう後悔している。
 クテイは床に倒れ伏している仔どもに目を向けた。ベゼルを使ったことで気力やら体力やら、奪わ
れてしまったのだろうか、仔どもはぴくりとも動かず、僅かに覗く白い肌がまるで死人だった。
 美しい仔ども。いくら血が混ざっている不可触民とはいえ、神々しいまでの清らかさは消えない。
クテイがこの仔に触れられないとすればそれは忌むべき不可触民だからではなく、あまりにも恐れ
多いからだ。こんな綺麗な生き物を、好色な親父どもに売って好きにさせたくない。
 クテイは仔どもから目を逸らした。彼には見なかったことにするしか、なす術はなかったので。どう
とも言い表せない感情が胸の中に渦巻いて苦しい。助けたい、助けられるわけがない。だって口に
出した言葉は戻らない。クテイが彼を見棄てた事実は変わらない。
 信じられないことだが、ホヅミはまれにこうやってクテイに商品となる子どもたちの販売先の決定を
強要することがある。そこには何らかの意図があるわけではなくおそらくただのホヅミの趣味で、クテ
イの罪悪感に歪む表情が見たいだけだった。
 クテイは三年前の御手洗の日、ホヅミに拾われて以来、慢性的に巣食うその感情を何とか昇華しよ
うと喘ぐ羽目になっている。しかしホヅミがそんなクテイを気にすることはない。暇つぶしの材料でしか
ない少年のことを、どうしてホヅミともあろう人間が気にするだろう?
「クテイ、だったらお前さんが研究所に連絡しな。――裏のにしろよ、国立はダメだ。金払いが悪い」
 ホヅミは倒れている仔どもに一瞥をやり、未だに昏倒しているのを確かめた。
「俺はベゼル封じの枷を持ってくる。また使われたくはねぇからな」
「……、」
 唯一ある扉から出ていこうとしたホヅミは当然あるべきはずの返事がなかっため、怪訝な顔で振り
返った。
 クテイは男から向けられる訝しげな眼差しには気づかずに、虚空に視線を投じている。
「クテイ、」
 少しばかりの棘が含まれた調子で名前を呼ばれ、クテイは慌てホヅミを見た。そのときふと、ひとりの
男の存在を思い出す。衝撃で息がつまる。自分が考えたことの恐ろしさに呆然とする。
 見上げたホヅミは不機嫌さを隠そうともしていなかった。高低の激しいホヅミの機嫌取りは、クテイの
苦手とするところだ。
「分かったな?」
 語気強く言われ、クテイは脊髄反射で頷いていた。
 実際自分のこれから起こす行動が、ホヅミの意思に沿っていないことに思い至ったのは、彼が出てい
いき、脳にその案件が行ってしばらくした頃だった。
しまった、と思えども結局としてクテイは了解するしか術はなかったのだ。そうでなければすぐさまホヅミ
は荒れるだろうから。
 ホヅミを更に怒らせることになることを理解しているにも関わらず、見つけてしまった可能性に縋りつく
ことをクテイは選んだ。
 いくら気に入っているとはいえ、今回ばかりはホヅミも許すまい。主人に逆らうなんてどうかしてる。彼
の弱者をいたぶる眼差しが、次こそクテイに向くだろう。けれど――、寒さではなく身を震わせながら、ク
テイは思った。
 それでこの仔が救われるのなら。
 もう、人を傷つけるのは嫌だったので。
 別にそれでも構わない、とクテイは目を伏せて呟いた。



       
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