||  Child on whom price is not set  ||






三話




 モモセの足元から出現していた環は、ホヅミが四方に打ち立てた結界に阻まれ消失していた。彼は
そのまま防御から攻撃へと転換し、モモセの肉体を強制的に睡眠へと叩き込んだ。
モモセが作り出したのとは違う灰色に発光する環を閉じ、ホヅミはぼそりと呟く。
「――まかりなりにも<神の血統>、か」
 それは返答するものを必要としない独り言だったのだが、クテイはそれに律儀に反応して自身を引き
寄せている男を見上げた。
 初めはクテイがホヅミの腕を引く形だった。しかしモモセの環が弾ける直前、ホヅミがクテイを庇うよう
な仕草をしてみせたのだ。
「ベゼルの潜在能力は十分らしいな」
 ホヅミはクテイの視線には気づかず、モモセに目を向けたまま続ける。クテイは量の多い睫毛を震わ
せ、顎を俯けた。クテイの黒い耳は、ぴんと立っているのが常であるが、今は伏せられてしまっている。
尻尾も同じくしおしおと垂れて床を擦った。
 ホヅミにはおそらく他意はなかったであろうが、今しがた彼が口にした台詞はクテイにとっては禁句
にも等しい。いや、クテイのみならず、弱い獣であれば皆そうか。
 人型を持って産まれた獣は、種族がなんであれベゼルという能力を行使できる存在であることを公言
しているのも同意である。
 ベゼル、とは、世界を構築する流素であり、それを用いた術の総称だ。
 獣であるという誇りを持つ種族や、個でなければ、大抵の獣は体内を循環するベゼルを上手く調節し、
特徴的な耳と尾は隠す。それが強い力を持つ証明だからだ。肉体を造り、流れるベゼルを上手に扱え
ない個ほど、耳と尾は出したままになる。
 モモセら<神の血統>も、本来は銀狼と呼ばれる種族だ。ベゼル濃度が他の獣種と比べて極めて高い
という理由も含め、その俗称が付いていた。彼らは世界を循環するベゼルを自由自在に操れる。もちろん
自身の体内を流れるベゼルも制御できないはずはないが、<神の血統>と呼ばれる自身らへの自負のた
め、獣の特徴を有するどの部位も隠さなかった。
 ベゼルは神から授かった力、というのが、この国の基本理念だ。
神はベゼルを用い、世界と、ありとあらゆる種の生き物を造った。そして神は人と同じ姿をしていたという
いう神話から、他種族の人間に対する憧憬は深く、獣が人型に執着するのはそこから由来してきてもい
た。
 クテイは黒犬という種であり、モモセのような銀狼ならばいざ知らず極めて凡庸な種族の一で、取り立
てて獣であることに意義を感じてはいない。クテイ自身も奴隷階級に産まれ、ホヅミの庇護下に入るまで
は常に搾取される側として卑屈に生きてきていた。出自への矜持も、自身への矜持も、とても持てたもの
ではない。
 つまるところそうであるのにクテイが耳を仕舞えていないのは、能力が低い証に他ならなかった。
 ホヅミは今回においてはそのことでクテイを揶揄するためにあの台詞を発したわけではないことは底辺
に感嘆を含ませていた彼の口調から窺えたが、クテイは思わず自嘲せずにはいられないのだった。
「――ホヅミ、さん」
 無意識に頼りなげな声が唇から落ち、クテイは声帯を震わせたその己の声に驚いて身体を強張らせた。
そこでようやっとホヅミはクテイの存在を再認識したらしく、クテイの痩せた腰を掴んだ手に一瞬力を込める。
「――クテイ、」
 そこは純粋に、他意のない声でクテイは名前を呼ばれた。
 言うや、支えた手を放されて、クテイは若干よろめきつつも身体をたたせる。まともな食事をとれるように
なった今でも骨格の出来上がっていない身体は華奢で肉付きが悪く、不健康だった。
再度、おどおどとクテイはホヅミを見上げた。そのときの彼の瞳には一瞬間の内に取り戻された暗い愉悦
が漂っていた。彼お得意の表情。
 はい、とクテイがそれだけの返事すら満足に出来ずにいると、ホヅミは取り繕ったような真顔で訊ねてき
た。



       
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