||   罪の行方   ||

〜後編〜


 痛いって、志堂の文句を自業自得だと真頼は切った。ここは主張しておかねばならない、と真頼は思う。
「お前が駄々をこねるし、風邪をひかれても困るし、このまま見られるのも困るから、仕方なくやってやってる
んだ」
「へーへー、分かってますよ」
 そう拗ねて返した志堂は、不意にその声のトーンを落とした。
「……なあ、真頼。お前、俺に触られるのが嫌いなのか」
 頭をいらわれながら、そのために少し真頼から身体を離していた志堂は、それでもゆるく真頼の腰に手を
回していた。真頼を手放さないように。
「、どうして?」
 真頼は手を止めて、驚いて首を傾げた。
「お前はこうして俺が触れるたびに、逃げようとする」
 さわ、と背骨を撫でていく指。びくりと背中が反り返り、腰が浮く。鋭く志堂を睨みやったが、返ってきたの
は弱い光を宿した眼差しだった。
 先ほどまでの、能天気とも言える明るさはどこに行ったのだろうと思えるほど、沈んだ声音だ。顔はすぐに
真頼の肩口に伏せられて、タオルのせいもあってもう見えない。
 ああ、駄目だ。これは罠だ。弱さに絆されて油断すると、絡め取られる。わかっている、

 ――――わかっている、のに。

「……なんでそうなる? 俺はただ、お前がむやみと人の目に触れるようなことをして、他人にあれこれと言
われるのが気に食わないだけだよ」
 志堂の頭に触れる指先が、優しくなってしまう。
「俺たちのことを何も知らないくせにあれこれ勝手なことを言って、きっと引き離そうとしてくるだろう? そん
なこと許せないよ」
 だから真頼は志堂との触れ合いを好まない。少しでも疑われるようなことにはなりたくないので。ただふざ
け合い、じゃれあっているだけだと、見てくれない人間もきっといる。口さがない人間に噂され、常識のせい
で引き離される。それが、真頼にはたまらなく嫌だった。それは少し志堂の持つものとは違う感情で、彼は
外堀を埋めていきたいのだ。少しずつ、周囲に認められるように。
「……じゃあさ、真頼ー。外じゃねーならいいの?」
 ああほら、――――ほら。
 真頼も俯いた。
 陥落させようとしてくる、腕を感じる。
「外じゃねーなら、いーんだよな?」
 ダメ押し。
 なかなか返事をしない真頼を、言葉で責める。
 肯定以外の答えを受け付けない質問。
 わかっていながら追い込まれてしまったのは、自分だ。
「……ここは、外だ」
 絞り出す。
「……おっけ。じゃあ今度は家ん中でしような?」
「……うん」
 伏せ目がちに、真頼は頷いた。この雄の気配に、どう抗えというのだろうと、真頼は思う。
「早く、お前の悲観癖が治るといいのにな」
 真頼は目線を下に向けたまま、うっすらと唇を持ち上げた。
「そうじゃなかったら、俺たちはこんな風にはならなかっただろう」
 そっと押さえられた左腕、残された、罪のあと。これさえなければ、ただの幼なじみで終われたはずだ。
互いを束縛するような、いびつな関係にはならないまま。
「……いつになったら、お前はそこから出てくるんだろうな」
 首を振り、志堂は立ち上がった。被っていたタオルを、真頼の頭の上に落とす。無言で見上げてくる、綺麗
な顔をした幼なじみを見下ろした。
「……そろそろ試合が始まる。見に来るだろ?」
「なんの試合?」
「バスケ」
 志堂はジャージを脱ぎ、真頼へと投げ渡した。下に来ているのは、半袖のシャツだ。人目を引いてしまうの
は、腕に深く残る刃物の傷だ。
「しっ、志堂!?」
 腰を浮かしかける真頼に、志堂は笑ってみせた。
「なんだよ? 大声あげたりして」
「傷! 脱いだら見える!」
「ユニフォームを着るんだからジャージは邪魔だろ?」
「お前、サッカーもバレーも着たままだったじゃないか!」
「でもそろそろ暑いしさ」
「志堂!」
 悲鳴みたいな声だな、と志堂は思った。男のジャージを握り締める真頼の顔は、青ざめていた。はぐらか
すように笑う男に、本気で怯えてしまっているのを感じる。
 虐めるのはここまでにしてやるか、と志堂はポケットに手を突っ込んだ。
「リストバンドだよ。つけてやるから」
 左手につけると、傷跡はすっかり隠れてしまった。そうするまで緊張していた真頼の気配が、見えなくなっ
たのを確認して、ほっと緩んだ。
 真頼はまだ、ずっと過去に囚われたままなのだ。
 志堂はともすれば低くなりそうになる声音を、努めて軽いものに保った。
「真頼、俺さぁ、この傷を後ろめたいとか思ったことないんだけど?」
 リストバンドに指を差し入れ、離す。それだけの動作で、ひくりと跳ねる細い肩。加虐嗜好がぶわり膨らむ。
攻め立てたい。でも今はまだそのときでないことを、志堂はよく知っていた。
 いたずらに怖がらせてばかりでは真頼はひとりで訳のわからない方向へ迷走して、過負荷に陥った挙句、
志堂にも背を向けて逃げだしかねない。
 それだけは避けなければならないし、そのためにも時期を見計らう必要がある。今できるのは、じっくりじっ
くり真綿で嬲るように真頼を翻弄し、いずれ感じる恐怖を鈍麻にしてやることだ。
「ジャージ、持って体育館に来いよ。絶対勝ってやるから」
 背を向けて歩き出したけれど、真頼は追いかけてこなかった。また勝手に傷ついたなあ、と志堂は思う。
長袖を着続けた、真頼と同じことをすべきではなかったのだ。二人の絆、人目に曝したくない甘い毒、それ
だけなら、まだよかったのだろう。関係が拗れることも、なかったのだろう。
「志堂!」
 呼びかけられる名前に、顔を上げた。試合に遅れそうになっている志堂に、迎えが来たようだ。真頼の声
ではない。
「すぐ、試合始まっちゃうよ!」
 女子生徒ばかり、三人。応援に来たクラスメイトが、志堂を探す役目を買って出たのだろう。
「わり」
 拝むふりをしながら、志堂は少し早足になった。明るい場所に出る。眩しい。
「あれー? 志堂、上着脱いだの? 珍しくない?」「ってか、初めて見たかも!」「さすがに暑くなってきた」
「馬鹿じゃない?」
 きゃはは、と笑い声。
 触れてくる手を、そのままにしておく。それをいいことに、少女たちは楽しげに腕を絡め、じゃれついてきた。
 容姿も整っていて高身長、おまけに人あたりも良い志堂は、男友達だけでなく、女友達も多く、人気が高
いことを自分でもよく知っている。少しばかり不真面目に見えるところも、しょうがないなあと、元来世話好き
な性質を持つ女の子には好まれる性格だ。おまけに何くれと構ってくる彼女たちを、一切志堂はないがしろ
にしない。
 腕に当たる、胸の柔らかな感触。普通だったらこれを嬉しいと思うのだろう。でも志堂は、これを真頼では
ないと思ってしまう。柔軟性に富んだ感触が、望む青年ではないことを伝えてくる。
 もしあの繊細な指先が、一度でも自分を求めて触れてくることがあったら。それだけで躯の芯が熱くなるよ
うな気さえする。
 後ろにいる真頼は、一体どんな顔をしているのだろうと、志堂は考える。自分のものが女の子に対してで
れでれしているのを、快く思うはずがないのだ。しかし、真頼は一度もそんなことは言わない。嫉妬をしてい
ないはずがないくせに。そんな素振りすら、見せない。
 しかし焦らし続けているといつか、真頼が焦燥に負ける日が来ると知っているから、志堂は少女たちと親
密にするのを、やめないのだ。
 そしてそのときがきっと、ねじ曲がった過去の清算を始めるときなのだ。
 真頼。
 振り向かないまま、志堂は呟いた。
 どんな顔をしているか、見なくても分かっていたからだ。
 志堂の大きなジャージを握り締めたまま、途方にくれたように、呆然と傷ついた顔で、立っているのだ。
 そしてきっと、心の中で志堂を責めている。
 自分を置いていくのかと。
 違うさ、と架空の呼びかけに、志堂は返す。
 未来のない関係などいらない。それだけだ。もしも変われないというのなら、曝すこともやぶさかではない。
二人でいつまでも、秘めていられるわけではない。世界はどんどん変わっていく。
 だから。
 焦って。こちらに出ておいで、紺。
 お前を脅かして追い詰めて――――――、お前を変化させてあげるから。



   
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