||  Child on whom price is not set  ||






七話

「――待て」
 それに制止を突きつけたのはホヅミだった。入り口を陣取り、脚で塞いだ彼は殊更ゆっくりとした動作で咥え
た煙草を指に挟み、紫煙を吐き出す。ホヅミとウルドはどちらも同じような長身だったが、ホヅミはわざとらしく
ウルドを見上げるような真似をした。
「金はきっちり払っていってもらおうじゃねェか」
 ウルドは目を眇め、不服げに軽く唸る。
「――常に検閲から見逃してやっている礼は」
「は! それとこれとじゃ話が違う。こらァ商品だ。代金払うのが筋だろうが。払わねェなら、枷はこのままだ。
 ――――――あァ、でも」
 ここでもまた、ホヅミは今まで言葉の下に冷めやらぬ怒りを潜ませていたにも関わらず、いやに口当たりの
よい陽気な口調になった。
 彼はコートの腰の位置にある右ポケットから重たい鍵の束を取りだし、隣に立っていたクテイへと渡した。
「こいつが外してやるっていうなら別だけどなァ」
 じゃラ、重たい音を立てて、鍵束はクテイの掌の上へ落ちる。困惑に瞳を揺らし、クテイは自分より高い場所
にある大人の顔を見上げた。その視線に気づいているくせに、ホヅミは無視を決め込む。
「ホヅ、ミさ、」
「ホヅミ、クテイを苛めンのは止めろ」
「、――苛め?」
 眉をひそめるウルドに、ホヅミは低い、恫喝染みた声音が喉の奥から発す。彼はウルドの言葉に目元をひく
つかせると、やおらクテイの細腕を掴んだ。クテイは短い悲鳴を上げ、鍵束を取り落とす。
「こいつが余計なことをしくさったお陰で、折角の利益が台無しだ! てめぇは何時ものごとくタダで持ってい
こうとしやがるしな! 誰がてめえのご主人サマか、一度こいつには教えてやる必要があるんだよ!」
 ぎり、骨が軋むほど強くホヅミは握り込み、しかしクテイは痛みを訴えるより先に謝罪を叫んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさいホヅミさん! ごめんなさいッ!」
「謝られただけで赦せるならなァ、俺はこんなに不機嫌になってねェんだよクテイ! 売り飛ばされてェかッ!?」
「ッ!?」
 クテイにとってはよく脅しつけられる、予想の範疇の言葉だったにも拘らず、彼は大粒の目を見開き、声を
なくしてホヅミを見つめた。口にする度に怒りがぶり返すのか、ホヅミはそれにすら気に障るらしく苛々と煙
草を噛む。手を上げていないだけ、まだ愛情をもっていると言いたげだ。
 クテイは顎を引いて俯いた。耳は伏せられ、髪の中に同化している。
 分かっていたことだと言えども、実際に突きつけられれば重さはいや増す。
「ホヅミ、」
 嘆息しつつ、ウルドは友人を呼んだ。
「あ゛ァ?」
 返ってきたのは床にのめり込みそうなほど機嫌の悪い返答だ。
 彼としては利益云々以前にクテイが己の言いつけを守らなかったことがまずもって気に入らなかった。そ
してさらにその相手がウルドだったことで、それが決定打となったのである。
 クテイはホヅミの傍らにいる間、彼の知人である軍人が時たま商品の仔どもを連れていくのを見ていた。
だから今日、ホヅミの台詞からそのことを思い出したために、ウルドに連絡をとっただけだ。そのことが何よ
りも、ホヅミの心証を掘り下げるとは思いもよらない。
 ウルドはホヅミから見てみれば、利用価値も十分にあるがそれ以上の対価を搾取する男として評価され
ているのだ。
 しかしそんなことは十二分にウルドにも分かっていることだったのか、溜め息と一緒に彼が取り出したの
は一枚の紙きれだった。ふたつ折りにされた長方形のそれを、ホヅミは不信感を露にした顔で引ったくる。
「小切手だ。署名は済んでるが金額は書いてない。好きなだけ持ってけ」
 確かにそれは小切手だった。抜かりなく署名が済まされてあるのを確認すると、ホヅミは舌打ちするやポ
ケットに突っ込む。
 怒りの理由を削り取られたのだからそれも当然だった。
「――そんだけこのガキが大事か」
 しかしだからといってすぐさま感情を抑え込めるほどホヅミは理性的な人間ではなく、一瞬で上客になった
ウルドに嫌味混じりにそう言うが、彼は嬉しげに笑うだけだった。
「当然だろうが」
 見せつけるように、ウルドはやわらかな口づけを垂れた耳の先端に落とす。ひぅ、とモモセはか細い悲鳴を
上げ、抵抗を見せたが易々と押さえ込まれて終わりだ。
 男の仕草にホヅミは白けた眼差しを向ける。
「名前どころか性別も知らなかった癖によぉ――――」
 ホヅミは屈み込み、足元の鍵束を拾い上げる。どの鍵がモモセを戒めていたものなのか、ホヅミは知ってい
るのか間違うことなく何十もの中からふたつを選び出し両手足の鎖を解いた。
「何処へでも連れていきな。こいつはお前さんのもんだ」
「おーよ」
「目玉飛び出すくらいの請求が後から来んの忘れんじゃねェぞ。 ――――――あと、」
 潜められた声に、ウルドは怪訝な顔をする。ホヅミは嗤笑を口端に浮かべた。
「――――お前さんは金であのガキを買ったんだってことも、覚えとけよ?」
 数秒間、ウルドは固まっていた。
 はばかった声音だったとはいえ、男の腕の中にいたモモセにもしっかりとその言葉は聞こえていたはずなの
に、上手く理解には繋がらない。
「んじゃ、せいぜいそのガキと楽しみな」
 最後まで皮肉は忘れないままホヅミは脇へ避け、ウルドはモモセを抱いたままぎこちなく扉の外へ出た。
 涙の浮かんだ瞳のままのクテイに手を振られた瞬間、モモセは自分の身分を忘れて咄嗟に手を伸ばしてい
た。一緒に、そういう意思表示のつもりだったのだがクテイには伝わらなかったらしい。代わりに気づいたホヅ
ミにクテイは先程と同じ場所を握られ、痛みに意識をそちらへ持っていかれたらしかった。
 調子に乗るんじゃねェぞ、赦したわけじゃねェからな――、二人の姿が見えなくなった薄暗い廊下で、ホヅミ
の低い脅し文句だけが最後に聞こえていた。



       
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