||  I am a living thing which kneels down to you  ||






三話

「――あ、ウルドだ」
 存在に気づいていつつも無視して通り過ぎようとしていたモモセは、ヒタキが止まってしまったので仕方なしに
それに倣った。
「あ、今日はルナさんもいるじゃん」
 誰だ、と思いつつもったりとした動作で声の方向に目を遣ると、大勢の生徒や軍人たちに囲まれて、頭ひとつふ
たつ抜きんでた長身を持つ男が、笑みを浮かべて手を振っていた。疲れているのか、どことなくその動作は気だ
るげだ。
 ウルドだった。
 熱いものと冷たいものが、一緒くたになって喉を滑り落ちる。
 彼の隣の男が、ウルドと同じようにこちらに手を振っていた。つり上がった目は細く、右に片眼鏡をかけている。
ふたつの色を持った髪は、前髪が少し鬱陶しそうに目にかかっていた。
 ヒタキは楽しそうに手を振り返したが、モモセは無表情のまま目礼を返すに留めた。ウルドと視線を交らせるこ
とはしない。
「――あの人?」
「そう、ルナさん。本名はルナーラル。ウルド直属の部下だよ。ずっと見てなかったけど、やっぱり調査には参加
してたんだね」
「あの人の部下、か……」
 瞼を半分落としたまま、モモセはルナーラルを見た。軽薄そうな笑顔だ。ウルドの部下と言うだけあって、まと
もには見えない。着崩された軍服、浮ついた足取りで、ウルドと一緒に近づいてくる。モモセはかたくなに、ウル
ドから視線を逸らし続けた。
 ヒタキはその場から動かないモモセとは違い、彼らに駆け寄る。仲が良いのだろう、ルナーラルと手を打ち合
わせて挨拶をしている。
「久しぶり! 会わないから、こっちには来ないと思ったよ!」
「上官殿とは別行動だったんだよ。元気で何より。あんたは全然大丈夫そうだねえ」
「おれはね。でも事件だなんて思わなかった」
「本確定じゃないけどね。でもどうやらその線が強そうだ」
 会話を聞きながら、モモセは足を引いて逃げ出したい衝動をこらえ続けていた。ウルドは迷いなくモモセに近づ
いてくる。
 寮に入ってしまえば逢うこともない。その見通しは甘かった。モモセが入学してから一日も欠かすことなく男は
モモセを訪ねて来ていた。仕事だとウルドは言って、確かにそれは校内で誘拐もあっているという噂から見ても
嘘ではなかっただろう。だが寮に入りたいと告げた翌日の夕刻に早速現れたウルドにモモセは驚きと動揺を禁
じえなかった。
 昨日の悲愴さは偽りだったのかと疑ってしまうほどに、ウルドはあい変わらず公の場でモモセを抱きしめた。
モモセは気にしてばかりいたのは自分だけだったのかと腫れた目で思ったものだった。反動でウルドに対する不
満のようなものが腹の中に溜まっていっていて、それは現在も増え続ける一方だ。
 モモセは警戒を身体中に漲らせてようやくウルドを見上げた。少しでも隙を見せればすぐさま絡め取られてしま
うので、油断が出来ないのだった。
 こちらに一歩ウルドが近づくごとに、モモセは一歩後退する。
 彼は右の口端に苦笑を刻むや、一気に距離を縮めてきた。悲鳴を上げる暇すらなく、モモセは左肩に担ぎあげ
られていた。抱かれるより何倍もマシだが、密着していることは間違いない。一瞬呆けた後、モモセは必死になっ
て手足をバタつかせた。
「っやだ! やだぁっ! 降ろして降ろして降ろして!」
 こればかりはもう体面とか外面とか、そんなものを気にしている余裕はなかった。けれどまさか本当に殴りつけ
たり蹴りつけたりなどする度胸はなく、ウルドが一度動きを止めたときにはどこかに当たったのかと大いに焦って
しまった。けれどすぐに緊張は解かれ、宥めるように腰のあたりを叩かれる。
「大丈夫だから、落ち着け」
「なっ、何、が、大丈夫だって言うんですか!」
 何も、大丈夫ではない。周囲から向けられるいくつもの目。衆人環視はモモセの許容を上回る。好奇、侮蔑、
怖い、いますぐ消えてなくなりたい。
「あんまり、嫌がることをするものじゃないよ」
 ルナーラルは呆れたような口調で忠告した。
「あまりかわいいかわいいと追いかけると、この手の子どもはますます怯えて逃げるものでしょ。おんな子どもの、
扱い方を知らないわけでもあるまいに」
 皮肉りながら、それに、と彼は声音を落とした。
「彼女――、神官殿に、見つかったようだ」
 その瞬間、ウルドの纏うベゼルが硬質なものに変わったのをモモセは感じた。怯え、モモセはウルドの背中に
回していた掌に力を込める。

『――隠せ!』

 男はベゼルに命じ、不意にモモセは何者の視線も感じなくなったことに気付いた。ざわめく人の群れは、いきな
りウルドたちが消えたことに驚いている。
「うわ、何これ」
 一緒に隠されたヒタキが、きょろきょろとあたりを見回した。
「ウルド、すごいね!」
「ヒタキ、好奇心旺盛なのは結構だけど、ちょっとあたしのうしろに隠れててよ。守れないから」
「うん、分かった」
 ヒタキは素直にうなずき、モモセも男の背にしがみついたまま、そろそろと顔を上げ、後方を伺った。
 ウルドの眼差しが、どこに向かっているのかモモセはすぐに気付いた。人ごみにまぎれてこちらを見つめる異質
な影があった。学校の生徒ではないらしい。真っ白な長布を纏い、表情は隠されている。ただひどく動揺している
のかベゼルの気配が乱れている。とてもきれいで、思わず見惚れるほど、清廉な雰囲気。自分と、似通った、何
か。
 ばっ、と白い衣の裾を跳ね上げ、美しい指先が空へと掲げられた。凄絶な光を放ち出現する、巨大な月白げっぱく
 軍人二人は身構えた。
「こんなに早く遭うとは……。――大丈夫だ。あの人は――、危なくはない。敵ではないが、遭わないにこしたこ
とはないな。ルナーラル、足止めを頼む」
「承知、――でも今更、無駄なようですが。どうやら少し――、頭に血が上っているらしい」
 ルナーラルの足元に、滅紫けしむらさきリングが顕れる。
 それを待っていたかのように、神世の言語で練られた聖言がこちらに向かって放たれた。
『―――――!』
 ぐわりと、ベゼルの波が襲ってくる。その瞬間、ウルドはしっかりとモモセを抱え、走り出した。そこでモモセは
ほっそりとした指から紡がれていた幻想から抜け出し、置かれている状況に気づく。ウルドが自分を抱きしめた
ままであるという状態に。
「待って、やだ! なんで逃げるの!? ってか、自分で、自分で走る……ッ! 触んないで……!」



更新日:13.05.12






       
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