||  I am a living thing which kneels down to you  ||






二話


 公用語の読み書きすら満足に出来ない状態からのスタートであったので、モモセの学校生活は至難を極めた。
ベゼルのコントロール練習の傍ら、モモセは読み書きも習っていた。その全く初めてのふたつのことを、知恵熱を出
しそうになりながら何とかこなす。あまり上等な頭脳の持ち主ではなかったらしいことが、残念だ。でも難しいが、学
ぶということは何もかも新鮮で、楽しい。
「俺、ベゼル支配のやり方がよく分からない」
 授業が終わり、迎えに来てくれたヒタキと共に廊下を歩きながら、モモセはぼやいた。
 ベゼルが世界を構成する流素だということは、モモセだとて最初から知っている。ありとあらゆるものは、流素から
なる。生き物も、無機物も。
 そして生き物は流れているベゼルの量と、その波長で強さと階級を計る。ベゼルは目には見えないが、感覚とし
て捉えることが出来る。言うなれば、纏う気配や雰囲気といったもの。自分の環を見つけ出し、具現化させれば攻撃
や防御、それ以外にも様々なことに応用が利く。
 しかしながらモモセはまだその段階には至っておらず、自分の体内のベゼルの制御が優先された。それには身体
に流れているベゼルの存在を掴まなくてはいけない。けれどモモセはそれが全くできずにいる。他者のそれのように、
自分のベゼルを感じることは可能だ。けれどそれを自分の意識化に置くとなると、とたんにべセルの気配は霧散する。
手ごたえがない。
 二度ばかり暴走させてしまったときには確かに躯を流れるベゼルの感触があったというのに、今では欠片も覚えて
いなかった。
 体内のベゼルを制御し、人型になるのは強い獣にとって初歩的なことだった。それを、無意識に行ったままでいる
ことのできる獣だっているくらいだ。モモセは決して弱くない。出来るはずだった。このままでは神世かみよの言語を習得し、
環を探すまでにも時間が掛かる。環は、結局確かな形を造り出すことが出来ずに終わるものも多い
のだ。モモセが不安になるのも当然だった。
(おれが不可触民だから……神さまに愛されない仔どもだから、ベゼルも応えてくれないんだろうか……)
 幼年学校の門は広く開かれているが、大手を振って卒業していくものは少ない。環を得て軍人になるのが最も羨
望されるエリートコースだが、叶わずに学識だけを得て六ヶ年を終えてしまうのもよく見られる例だ。環を持たなけれ
ば軍人として出世していくことは難しい。
 神世の言語の辞書や筆記用具、それらと一緒にヒタキの手に収められている羊皮紙を横目で見て、モモセは唇を
引き結ぶ。そこには環の図案が描き込まれていた。
「ベゼルの制御のこと? まだ始めたばっかりじゃん。そう焦ることもないよ」
「始めたばっかりって言っても、もう八日も経った」
 モモセは垂れた二尾を床に擦りつける。
 早苗月の十八日だった。
 モモセは放課後もベゼルの制御を成功させようと努力を怠ることをしなかったと思う。字の復習も勿論した。予習も
した。消灯が来るまで図書室で頑張ったし、消灯が過ぎれば部屋でベゼル制御の稽古。出来うることを全て、やった
つもりだ。けれど文字の勉強はともかく、そっちに至れば何も身についた気がしないのだ。
 項垂れているモモセに、ヒタキは呆れた顔をした。
「まだ、八日だよ。まだ。俺はもっと何年もやってるんだよ? モモセは変に気負いすぎ。ウルドの補佐官に指名され
てるからって頑張り過ぎる必要ないよ。やり過ぎたら倒れちゃうって。モモセはモモセのペースがあるでしょ」
「でも、」
「そんな悠長なこと言ってると、六年なんてあっという間だぜ?」
 心中を言い当てたかのような的確な言葉が背後から聞こえ、モモセはぎくりと肩を跳ねさせた。わざと意地悪くした
口調。隣のヒタキは露骨に嫌な顔をした。
「カルシス、さん」
 振り返れば長髪の少年に、それにつき従う影がひとつ。
「ようモモセ、お前もそう思うよな? ぐずぐずしてるとすぐに殿下の補佐の地位、掻っ攫われるって」
 反論、出来ない。カルシスの言は正論だった。そのためモモセは黙って耐える。逆にヒタキが爆発することが多い
のだが、こう毎日続けば無暗に語彙を消費するのは阿呆らしいと思うらしい。聞き流しなよ、とヒタキはモモセに耳打
ちした。どうせ碌なこと言わないんだから。それを見て短髪の少年が申し訳なさそうに笑うのは、もう日常に昇華され
た行為だった。
 一通りの嫌みを言い終わるとカルシスは満足して去っていく。「行くぞ、シェスタ」
 しかしヒトに嫌みを言うだけの実力はあるのだと、詳しく書き込まれた環の模式図に、モモセは吐息した。
 モモセは俯き加減に周囲に視線を奔らせる。カルシスは本当に余計なことをしてくれた。彼の口からあっという間
に噂は広がり、ウルドが連れてきた獣の奴隷があろうことか彼の将来の補佐官の地位を与えられたのだと、学校中
が知ることになっていた。
 好奇心然として向けられる視線はまだいい。けれど憎悪や嫉妬や呆れや嘲笑、そういった類は正直気が塞いだし、
し、それが発展してウルドの評価に繋がると考えるとこれはモモセだけの問題ではなくなる。
 殿下は奴隷の仔どもを可愛がり公私混同なさっている、そんな風に彼が批評されるのを防ぐためにもモモセはどう
どうしても優秀でならなければならないのだ。
 モモセは深くフードをかぶり直し、足を速めた。視線はどこにいてもついて回る。カルシスだけでなく直接嘲られら
ことも何度かあった。
 本当は別に彼の補佐になりたいわけではないのに。
 そんなことは口に出しては言わない。言えない。
 それを言ってしまえばモモセを好ましく思っていない人物たちを、余計怒らせてしまうことは目に見えている。
 それでも、怒らせることは予測がついているにも拘らず、どうしても我慢がならないことがひとつだけあった。
 モモセのもうひとつの熱の原因。
「モモセ、」







       
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