||  I am a living thing which kneels down to you  ||






一話


 ウルドは執務椅子に浅く腰掛け、こつこつと指先で机を叩いた。机のしたでは、同じく神経質な爪先が床を踏
み鳴らしている。それに苛立たしさを増幅されウルドは一旦動作を止めるが、無意識のうちにすぐにそれはまた
再開された。
「みっともない、貧乏ゆすりはやめなさいよ」
 呆れた声が傍らに立つ男から投げかけられるが、無視。こつ、とまた爪が当たる。
「いつまでもいらいらしているんだったら、練兵場にでも行ってくれないですかねぇ。こっちもそんなあんたとふた
りっきりじゃ気詰まりだ。時間が惜しいってんなら、さっさと対策練らないといけねぇでしょ」
 傍若無人に意見を言うのは、ウルドの部下であるルナーラルという男である。軍服はあってないようなものと
着崩し、同じく上司に対する言葉遣いも、軍人らしいところがまるでない。異人から買い取った片眼鏡をかけた
目はいつも笑んでいて細く、まぶたの下にある瞳の色を誰にも教えなかった。
「理事長のくそジジイが気に食わないのはわかるけどさあ、アンタが今することはいつまでもイラついてること
じゃないわけでしょ」
「…………分かっている」
 度し難し、といった調子で、ウルドは唸った。
「だがここまで腐っているとは思いもしなかった。管理体制がずさんすぎる。あの学園は、楽しくお遊戯をするた
めの公園などでは決してない」
「そうでしょうとも」
 ルナーラルは同意とばかりに頷いた。少々、過表現気味に。
 彼は今日、上官のウルドとともに幼年学校へと足を運んでいた。校内で頻発していると聞く誘拐事件について
伺いたいと前触れを三度ばかり出していたのだが、すべて実際に足を向けると説明責任のある理事長はいつも
雲隠れしている。
 四度目となる今日にもなると、ともと気が長い方ではないふたりは揃って忍耐を切らした。そして前触れを出
さずに強襲をしかけ、ようやく面談かなったのだった。
 そこで知った事実は、呆れかえるばかりなものだった。
 まず、問い詰めた理事長は知らぬ、存ぜぬを貫き通した。さらに前もって連絡をよこさなかった非礼を責め立
てる始末である。冷静に対応できたのが奇跡といってもいいほどだ。
 管理局の自室に帰ってきてから、ため込んでいた怒りは一気に爆発したわけだったが。
 学校では、奴隷階級獣種の学籍名簿も作られていなかった。いついなくなってもいいように、意図的にそうし
ていたふしさえある。
「俺は、教育部の役人じゃない」
 ウルドはぼやいた。どういうつもりだと問い詰めたが、本来それはウルドの役目ではない。彼のすべきことは
行方不明になっていると思われる子どもたちの捜索である。
 理事からは、そんな子どもはいない、報告もない、と突っぱねられてしまったが。もとより学校という場所に息
苦しさを感じ、失踪する奴隷層は珍しくない。それが獣種の奴隷の仔ともなれば、誰も探そうなどとは思わない
し、なおさら表には上がりにくくなってくるだろう。
「教育部も、いい顔はしないだろうねぇ」
 いささか楽しげに、ルナーラルは言った。ウルドが部署の業務を侵犯していることは確かである。普通ならば
抗議がいくところだが、ウルドの持つ地位のせいで、彼には直接何かを言い立てることはできない。
「あたしもあなたの世話係じゃねぇんだけどね」
 かわりに苦言をもらうのはルナーラルの役目で、それを彼は他の業務の何よりも楽しみにしているのだった。
無能を舌鋒でやりこめるのは、彼の趣味だ。体面は皮肉としてウルドに呈するが、内情はこんなものである。
「でも、補佐がやっと見つかるみたいで、安心だ」
「……モモセのことか」「他に誰がいるってんです? あたしはごめんだ」
 そもそもあの子どもを補佐にする、と息巻いていたのはウルドのほうだ。それをしらじらしく訊いてくるとは。
ルナーラルはようやく肩の荷がおりると、大げさに息をつく。確かに彼は男の部下だが、補佐になるような地位
ではない。ウルドが補佐を持たないばっかりに今まで律儀に遠慮していたが、本当はルナーラルだとて補佐官の
ひとりや二人、いたっておかしくないのである。
 ウルドは煩そうに顔を顰めた。
「……早急に名簿を作らせろ。教育部も、こんな管理を見逃しやがって。怠慢にもほどがある」
「あそこは最初から改正には反対だったグループだったそうじゃないの。気づかないふりをしたいのも当然だ」
「事実、どうでもよすぎて知らないといったこともありうる。改正から三十年たつのに、この国はまったくかわらな
いみたいだな。お飾りの法律らしい」
「ないほうが良い、が大多数の貴族の意見だろうしね」
 あなただって同じだ、とルナーラルは薄く笑う。
「あなただって、正義の人というわけではない。あの仔どもがあなたにとって大切だから、わざわざこうして動い
ている」
 執務机に寄りかかり、ルナーラルは上官を横目に、あえてそう言ってやった。男は真顔でルナーラルを見つめ
た。
 西日が差している。部屋は赤と黒に満ちている。図星をさされ怒られるかと思ったが、予想に反して上官は静
かな声を出した。すっと視線が外される。
「……ホヅミは一体どこに消えた? あいつは誘拐、と言った。はたから見たらただの行方不明だ……。それを
誘拐、と言いきったからには、嘘にしろ実にしろ、あいつが一枚噛んでいるのは間違いないんだ」
「――調べさせてますが、まったく捉まらないねぇ。経営してる娼館のいずれかに隠れてるんじゃないです?」
「臭うだけ臭わせて……、何か企んでるな」
「あの人が何かを企んでなかったことなんて、一度だってなかったじゃない。腹ん中に、いつも悪意を飼ってい
る男だ」
「引き続き、調べろ。見つけたらどんな罪状でもいいから、引っ張れ。埃しか出ない身体だ。協定は破棄だ」
「あい、さー」
 おどけて敬礼、軍帽はない。いつものことなので咎められることもない。
「明日また、学園に行く。聞き込み調査だ、ついてこい。担当班を組織しておけ」「それは、もちろん」
「それでは、退出していい」
 しっしっ、動物をに対してするように、そのままルナーラルは追い出された。
 はぐらかされたなあ、と重たい扉を丁寧に閉めてから、彼は含み笑う。
 分かりやすい男だ。それがまた、いいのだが。






       
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